PART 1
“Fatty” is sinful.
国も個人もデブると地球の敵となる
断食はエコのみならず、「儲かります」
最近、ぼくは生まれて初めて断食をしました。
そのことを言う度に「ええ〜っ? チ、チミがだんじきを?」 驚愕するメタボ気味の友人たち。彼らはまるでぼくのことを諸葛亮孔明を見るかのように“偉大な人”として捉えるようになりました。極めて不思議なことです。というか、それだけ飽食な時代ということなのでしょう。
ぼくが断食したのは、三日間。
「だんじき」と言っても名ばかりで、実際は「一日みかん三個まで」というルール。カフェイン系も刺激物ですので、コーヒーもNG.ジャスミン茶と麦茶はOKでした。
二日目の夕方から微熱が出始めましたが、「あっ、これは地球温暖化=熱をだしている……と同じ苦しみなんだな。こらえてこらえて」と、ぶつぶつ言いながらなんとか三日間を乗り切りましたが、その結果ぼくは自分の体質が変わったのを感じました。簡単にぼくが得た教訓をまとめると次のようになります。
①人は空腹でも寝れるようにできている(夜食のペヤングよ、さらば)
②断食期間中は, ウンコがでない。よってトイレットペーパー代と水代を
節約できる。
③断食期間中は、食費がかからない。これはある意味、「お金を稼いだ」よう
な感覚にもなる。
つまり、良いことづくめなのだ。
さらに言えば、断食後は胃袋が小さくなっているのでその後の食費も少なくなります。また、皮膚の感度もグーンと上がるのでありきたりのセックスに飽き飽きしている方には、新たなエクスタシーをもたらしてくれるでしょう。カップルの方には、ぜひペアで断食していただけば富士山の九合目よりもウルトラハイのエクスタシーワールドに突入する回数も格段と増えるかもしれません。(しかも酸素ボンベはいりません)
周りからは「おい、なんか二重あごが消えたね」、と言われ、写真を撮られれば「ねえ、なんかほっぺの辺りがキアヌ・リーヴスみたい」と褒めラニアン。ぼくは調子に乗りやすいタイプなので、もう断食後の毎日がウキウキです。
(おやじギャグは今後もちょこちょこ出てきますが、軽く流してください)
体重もそれまで74kgほどあったのが、断食後に初めて行った銭湯で激熱風呂に1時間入った後に計ったらなんと69.9KGと表示されました。60キロ台なんて大学時代以来かもしれない、と思うと目から鱗が落ちました。
では、なぜ断食の話をいきなりしたのか。
それには理由があります。それはメタボマンは地球の敵だからです。
さっそく、箇条書きをしてみましょう。
「メタボが地球温暖化を促進する理由」
あ)デブは重い。なので車やバスに乗ると運転手は通常より強くアクセル・ペダルを踏み込む必要がある=より多くの排ガスCO2が排出される。これからは飛行機に乗るときも、デブには「重量税」を課すべきだ。
い)デブは鈍感。皮下脂肪があまりに分厚いので、夏はクーラー温度を通常より低く18度の設定しなくてはならないし、逆に冬は暖房を35度に設定しなくてはならず、通常より圧倒的に多くの電力を消費する=より多くのガソリン・石炭を燃やす=温暖化
う)デブは怠慢。肉体が重い分、買い物に行くのもデブには重労働に感じる。よって徒歩5分のスーパーに、自動車で行く確立が高い。
え)デブは大食い。とにかく彼らは猛獣のように食べる。1日七食。その分、スーパーの容器や、コーラのペットボトルなど大量のゴミを出す。さらに沢山食う分、排泄量も多いためトイレで使用する水の量も想像を“肥える”。
お)デブは大酒飲みで酔っぱらい。仕事後の一杯は必ずビール。よってお腹は妊婦級。特に金曜の夜などはモヒート、テキーラのショットそしてスピリタスを飲みまくり失神寸前の状態で帰宅するため、TVはもちろん、家の電気すべて付けっぱなしで帰宅早々寝てしまう確立が高い。
注)人権保護団体からクレームを受ける覚悟で書いております。これもすべて、日本を世界一のエコッカにするため。メタボな方々、ご了承ください。脱デブに向けて一緒にがんばりましょう!(ぼくと一緒にランニングしたい方は、いつでもメールください)
p.s これでもぼくの真意がまだわからない!という方は、お手数ですが我らがネット映画"Solarman Season 2" Episode 3をご覧ください...
皇居のまわりを走る時代は終わった。これからは路地ウランニング
走ることが、今、ブームですね。
ぼくも2008年夏に、プーケット国際マラソンで初めてフルマラソンを完走してきました。とは言っても単なるコスプレランナーですので、タイムは五時間四十九分という平凡なもの。ただ、気温が四十度近かったなかでしかもドラえもんのお面を被って走ったので、「自分を褒めてあげたい」と思います。
走ると、脂肪が燃えるので身体がスリムになっていきます。
私事で恐縮ですが、趣味の銭湯に行くたびに「あっ、あのファイトクラブのブラピッみたいなナイス・スリム・バディは誰だろう?」と鏡をみて茫然としていると、自分だったりします。宇野千代も顔負けの究極のナルシズム。これでいいのです。それぐらいの楽しみがなければ、ランニングなんて退屈すぎて続きません。
体脂肪が燃えるということは、クルマに例えれば「燃費がよくなる」のと同じことです。つまり体重が減れば、相対的に食べる量も減っていく。よって出すゴミの量も必然的に減ります。つまり、very very Eco.
そこで、自称“エコメン”としてはぜひ本コラムを読んでいただいている読者のあなたにランニングをすすめる義務があると考えています。ただ、「つまんねえよ、走るなんて」とか、「余計なおせっかいだよ、このタコ」と反発する方も少なくないでしょう。でもNo problem.
そんな貴方のためにぴったりのランニング・コースがあるからです。
都内で一番有名なのが、皇居のまわり。So boring.. forget it.
そもそも、あそこを走っている人の中には三時間台でフルマラソンを走ってしまうモンスターたちも少なくなく、ぼくや貴方のようなモギタテのトマトのようなビギナーにとっては気が若干ひけますね。だいいち、あそこはクルマも多すぎるので排気ガスがNG.
そこでお勧めなのが、路地裏。
そう、Ro G Oora.
クルマでは到底入れないような場所を、行き当たりばったりで攻めるのです。「ええっ?こ、こんな豆腐屋がこんな場所にあったのか?my god!」とか、「このT字路、右いこうか、それとも左?」などと色々やっているうちに気付いたら三十分なんてあっという間に経っていたりします。
走る度に近所で新発見。写メを撮ったら、得した気分。
それでも「やっぱ走るのはうぜえよ」という方には、ワコールから出ているCWXというタイツをお勧めします。一万六千円と、値段は少し張りますがWBCで決めてくれた、あのイチローも愛用しているとのことだそうなので、穿くだけで気分はスーパースター。しかも格段と走りやすくなります。
脱メタボマンを目指して、まずは地球を救うまえに自分のバディを「救って」みてください。
No Ichiro, No life.
子供たちのクレジットカードに課金…
素晴らしい国ですね、ニッポン。
蛇口をひねれば世界一おいしい水がでてくるし、頭をひねれば名案もいっぱい浮かんできます。日本の四季、風土、そして国そのもののカタチが我々日本人の感性を豊かにしているのでしょう。
とはいえ、問題も山積しています。
我が国は、国と地方をあわせて1000兆円近い借金をしているのです。これを国民一人あたりに換算すると、なんと600万円。借金が国民を捉えて離さない、となるとこれはもうニッポンならぬ「スッポン」ですね。(一度しか食ったことありませんが........ぼくの地元の鎌倉・八幡宮の池にも生息しているはず。高校時代、食べて生まれ変わりたくて盗もうとしましたが、噛まれるのが怖くてリタイアしました)
2009年一月十二日の日経新聞に次のような記事がでていました。
「電力会社がCO2削減目標達成のために排出権を購入すると、2012年までに各社合計で数千億円を要するとみられる」
これは言い換えれば、日本はこれから子供たちのクレジットカードに「環境負担代」を課金していく、ということですよね。これまで大人たちが汚してきた地球の尻ぬぐいを、これから生まれてくる子供たちにさせる。果たしてこれが正しいことなのでしょうか?
話は少しそれますが、「環境省では、夜八時になると照明が消え、職員はパソコン・モニターのかすかな明かりのみを頼りに残業しているんだ。バカだろう?」と苦笑いする霞ヶ関のとある友人に対し、「バカだとは思わないけど、そんなことしてたら視力が落ちちゃうね」と返答したことがあります。
So here is a question ladies and gentlemen!
皆さんの会社では、何時まで照明をONにしていますか?
霞ヶ関にある省庁のビルなどは、一つのフロア面積がモンスター級であるくせに細かく仕切られていなかったりします。そのため、30人いる課のうち一人しか残業していなくても、30人分の照明を付けっぱなし。こうした“効率の悪さ”は、指摘するまでもありません。
我々が日本で消費する電力の60%は、火力発電によってつくられています。すなわち石油、石炭そして天然ガスを燃やすため、CO2が大量に排出されます。また、日本の電力の30%は原子力発電によってつくられていますが、その最大の利点はなんといってもCO2を出さないということ。ぼくは以前、福島第二原発(東京ドーム32個分の敷地)に友人らと行って「見学ツアー」に参加したことがありますが、ウラン燃料・ペレット(直径・高さ1cm, 10grams)一個で、一家庭の約八ヶ月分の電気が作れると聞いたときには、さすがにその発電効率に呼吸も停まりました。なんせ同じ事を火力発電でやるとなると、石油200リットルが必要になるのですから!
日本のように地震が頻発する国では、放射能漏れの危険性・管理が最重要課題であることは言うまでもありませんが、現在世界三位の原発大国である我が国にはすでに原発が54基あり、計画・建設中が13基もあります(日本原子力産業会議調べ/2005年12月現在)。現実的に考えれば、今後世界各国が原子力発電を推進していくことが予想されますが、日本の技術は世界を牽引しています。アレヴァ=三菱、東芝(Westing House)、GE=日立という三大グループが原発の世界をリードしており、原発基数が19の中国、そして23のインドをはじめとする各国が今後、CO2対策としてその数を大幅に増やすことが考えられるため、原子力発電に必要なウランの争奪戦もシビアなものになるでしょう。
また、今現在の日本のウランの年間需要量は、9000トンでその殆どをカナダやオーストラリアから輸入していますが、世界最大の埋蔵量を誇るオーストラリアといえでも114万トンしかありません。もちろんカザフスタンやモンゴルなど、他のウラン埋蔵国もあるとはいえ、世界中が争奪するのですから数十年で底を着く可能性も否定できません。
ウランの使用済み燃料などの核廃棄物も、棄て場所がないとの問題もあります。となると、先の先を見越して原子力とは異なる代替エネルギー開発も日本は進めなければならないわけで、あと五十億年は寿命があるといわれる太陽=Solar energyなどはその筆頭にあげられます。
ところが!....イムニダ...
そうした代替エネルギー技術開発を強力に推進する以前に、政府も国民もすべて環境問題をなんと“お金で”解決しようとしている現状があります。先程述べた「排出枠購入」も例外ではありません。Oh my energy...
20年近く前の1991年にあった湾岸戦争。
あの時、ぼくはまだ中学生だった。。。
いや、失敬。。。高校生だった(who cares, anyway?)
日本はなんと90億ドルものお金をアメリカ軍のために負担し、その血税の額は、アメリカの自己負担額70億ドルを超えました。にもかかわらず、クエートが解放された際の感謝リストにJapanという五文字は記されていませんでした。それを知ったとき、ぼくはすでに大学生になっていましたが、日吉キャンパスの銀杏並木を登りながら"FUCK!!"を連発したような記憶があります。
なんという皮肉。皮肉ならぬ「挽肉」にされたような屈辱。Oh man.....ぼくはあの時味わいました。ミンチ。でも12時になれば、迷わずランチ。
そもそもお金で何でもかんでも解決しようとするのは、日本の悪いクセであり、それは今日の地球温暖化問題にも当てはるわけです。(経済大国だからしょうがないか)
例えば、両横綱の故郷・モンゴルなどCO2を大して排出していない発展途上の国々からCO2排出権を買って6%を達成するのではなく、日本人自らが自らの手で血税を一ビタも使わずに成し遂げる気概が、今こそ求められているのではないでしょうか?
お金で購入ありきではなく、やるべきことをまずはやるのです。
飼い犬をメタボ化するまえに、近所のママチャリにつないで、運動させる、みたいな。
前述した通り1000兆円もの借金大国である日本が、またもや今の子供世代に「土下座して前借り」してCO2排出権を購入「させていただく」のはいかがなものだろうか?
台所の雑巾ばかりでなく、もう少し知恵を絞れないものか?
借金をするのは一番楽。
「人民と苦を共にするのが、私には楽」 (by 金ジョンイル)
世界中から借金に借金を重ねて、挙げ句の果てにバーストしたのがアメリカ発の金融恐慌。欧米は1000兆円以上の巨大損失を計上したとされていますが、この額がアメリカの国防費50兆円の20年分、日本の年間予算約80兆円の12倍であることを考えると、いかにこの「金融バブル崩壊による1000兆円のロス」がモンスター級であるかがわかります。
よって我々は、このサブ・プライムという名の「借金の連鎖」=失敗、から学び、なるべくCO2排出権を「子供への借金」という手段で購入しない道を模索するべきだと思うのです。
今こそ我々大人は「苦あれば楽あり」というメンタリティーをもとに、他人(子供)のふんどしで相撲を取るのではなく、ここは一つ次世代のために一人一人が本格的なCHANGEに向け、動き出すべきではないでしょうか?
温暖化のような“敵”と戦う場合、個人でいくら竹槍を振り回してもあまり効果はありません。周囲との連帯感を共有し、ムーヴメントとして盛り上げていく、巻き込んでいくのが理想的ですね。
第二次世界大戦で帝国陸軍と海軍が無意味の縄張り争いを演じ、それぞれが隼とゼロ戦という異なる戦闘機を作るという愚の骨頂を我々はリピートしてはいけません。コックピットのイスを締め付けるためのネジ一つとっても、あの時は二種類、別々に作ったわけで、こんな非効率なことをやっていては、「神風」は吹かないでしょう。
ああ、でもこの季節は風は吹かないで。
靖国の美しい桜が散ってしまうから.....
No Cherries, No life.
Thank you.
Introduction
「私はよく1階からオフィスのある45階まで階段であがるんですよ」
ゴールドマン・サックスに勤務する20代後半の外国人女性、リーマンさん(仮名)にぼくが銀座八丁目のクラブイヴェントで出会ったのは、昨夜のことだ。
六本木ヒルズで働く彼女は、なんと二十分かけて階段を登るという。オフィスに着く頃には、もちろん汗だく。自分の体調管理に努めると同時に、大量に電力を消費するエレベーターという乗り物のありがたさをも実感するそうだ。
「もしもサラリーマンの君が会社の同僚の女の子と二人で登ることがあったら、その時は“リーマン・シスターズ”だね」
多少の酔いも手伝って、ぼくがそう言うと彼女は苦笑いしながらダンス・フロアに消えていった。
夜11時に始まったこの深夜イベントには、有名どころのクラブDJも駆けつけ、大音量のハウス・ミュージックを求め大勢の人が詰めかけていた。
大してイケる口でもないくせに、その晩ぼくは友人らに勧められるままに
飲んだ。そして頭の中がぐるんぐるんまわり始めた朝四時前に、タバコの煙のない新鮮な空気を求めるため外に出た。気付いた時には、新橋駅そばの「富士そば」というチェーン店に入り、460円のカツ丼をオーダーしていた。
「あれ、昔は430円じゃなかったっけ?石油価格高騰のせいかしら」などと考えたりしながら、ぼくは待っている間、明るい店内を見渡してみた。金曜の深夜四時(実際は土曜に入ってるが)の新橋。同僚で飲み明かしたと思われるスーツの酔っぱらいが三名、大きな声で会話しているが、それよりも遙かに大きな音で演歌が流れている。壁にはポスターが貼ってあり、「富士そば社長・丹道夫 自叙伝、当店で発売中!1575円(税込み)」とでかでかとPRしている。気前のいい五十才ぐらいの店員のおじさんからカツ丼を受け取ったぼくは、ふーふーいいながらジューシーな肉と卵を口の中にゆっくりと放り込んでいく。うまい。とその時、自分がいる空間になんともいえない懐かしさを覚えた。新たに入ってきた酔っぱらいの客が、うどんをすする音。和やかな雰囲気。それまで西洋のダンス・ミュージックを聴いていたのが一転して演歌歌手・西森みわの「長崎の雨を」とか、「日曜の夜待ってます」(ポスターにそう書いてあった)とか言った和のメロディーにスイッチしたせいだろうか、まったくの別世界に来たような感覚があった。
「戦後のニッポンって、こんな雰囲気だったんだろうな」、とぼくは思った。
銀座八丁目にある高級クラブなどとは比べものにならないくらい、質素な空間。一本十万円のドンペリ・ピンクどころか、一杯270円のかけそば。剥き出しの電灯。しかしそこには、なんとも言えない安心感が漂っている。その瞬間、大半の日本人がすでに忘れてしまった日本の素の姿が、金曜深夜四時の新橋の立ちそば店にあるのかもしれない、と酔いながらも真剣に思った。
地球温暖化どころか、食糧不足で明日食べるものにも事欠いていた戦後日本。
メタボどころか、がりがりに痩せていた日本人。ガソリンを給油するクルマを所有している市民などおらず、逆にガソリンのようなメチル・アルコールを水で薄めた「バクダン」を体内に「給油」していた、あの貧窮の時代。リアルタイムで知っているわけではないので、ぼくは当時の雰囲気を所詮は資料から推測するしかないのだが、しかしそれでもクルマも、テレビも、洗濯機も、冷蔵庫も、電子レンジも、各部屋にテレビも、エアコンも、プレステ2も、GWの飛行機海外旅行もない超低炭素社会が、あの頃は確実にあったのだ。それが、チャーミング極まりない堀北真希が出演している映画「三丁目の夕陽」の時代設定でもある。そう、1964年の東京オリンピックあたりから、大量消費時代がテイクオフしたのである。
カツ丼を平らげたぼくは、店主にごちそうさまと言ってから外苑東通りを、六本木方面に向けて歩き出した。酔いを覚ますためにも身体を動かしたかった。西新橋の交差点で、信号待ちしているとそこにはタクシー七台、トラック二台、普通乗用車が一台がアイドリングしながら青信号に切り替わるのを待っていた。携帯電話をみると、朝四時判。人が寝てるはずのこの時間帯に、これだけの化石燃料が燃やされているのだ。地球は温暖化して当たり前かもな、とぼくはふと思った。
そのすぐ直後、サイレンが鳴り響いて消防車が次から次へと虎ノ門交差点のほうへ出動。ミーハーなぼくも頭がぐるんぐるんしているのにもかかわらず、芸能レポーターのように後を追う。さらに酔いが回る。左折して路地に入ると急になにかが燃えている異臭がした。発火地点のそばまでなんとか接近すると、消防士たちがある民家のまえで懸命に消火作業をしていた。「あそこは空きやなんだよ」とパジャマ姿で隣に立っていた老人がぼくに教えてくれた。
一酸化炭素中毒になりそうだったので、ぼくはすぐに現場を離れ文部科学省ビルのほうへと急いだ。途中、消防車の数をカウントすると十台も出ていた。
「ああ、現代人はこんな形でもCO2を排出してるんだな」と呟いた。
溜池の交差点を左折すると、バス停のベンチでホームレスが寝ている。そして隣の路上ではヘッドライト突けっぱなしの白い個人タクシーが、アイドリングしながら寝ていた。ああ、ここでもやってらあ。その光景を見てぼくはタクシーの運転手より、ホームレスのおじさんのほうがよっぽどかっこいいと思った。
ANAホテルを通り過ぎ、Samsungのビルにさしかかろうとした時、右手に東京都民銀行のビルがあるのに気付いた。午前四時五十五分、周囲には人っ子一人いないのに、ショールーム風の1階フロアは電気がこうこうと点いている。「なんたる電気の無駄遣い…」ぶつぶつ愚痴りながら六本木交差点を目指す。坂を登っていると「ちゃんこ鍋・若」の看板ランプが空しく輝いている。店の入り口を覗くも、人の気配はゼロ。「消し忘れかな。ここでも駄目だね大相撲」と通り過ぎると、今度はドコモショップ六本木店の電光看板も、真夏の太陽のように光っている。
「営業時間が過ぎたら、こうした無駄な電力消費は法律で禁止すべきだ」
六本木交差点にようやく到着したとき、体内から大分アルコールが抜けていたぼくはそう考えるようになっていた。そもそも、日本は自動販売機が世界一多い国である。銀座八丁目から六本木交差点までの間で、それを数えたらとんでもない台数になると思うが、自販機ANAホテル近辺の深夜帯はほぼ無人のエリアでも一晩中、大量の電力を消費していることに、ぼくは強い違和感を感じたのだ。付け加えさせていただくなら、その後、六本木ヒルズを通過した際、ヒルズの野外エスカレーターが朝五時半だというのに稼働していた。人の姿もほとんどなく、ましてやこの時間にいるのは自分のような酔っぱらいなのだから、わざわざ野外のエスカレーターまで“突けっぱなし”状態にしておく必要もなかろう。
そうだ、ようは今の日本は過保護すぎる=エネルギー過剰供給社会なんだ。
勝手に納得したぼくは、やがて帰宅しベッドに倒れ込むとカーテンを閉めるのも忘れ無印のソファベッドに沈んでいった。
“環境と遺伝とによって一民族のあらゆる個人に与えられる共通の性質の全体が、この民族の精神をつくりあげる。
これらの性質は、祖先伝来のものであるから、極めて強固なものである。しかしながら、種々な影響を受けて、ある数の人々が一時にせよ集合するときには、その祖先伝来の性質の上に、種族本来の性質とは往々大いに相違する新たな一連の性質がつけ加わることは、観察によって証明されるところである。
それらの性質の全体が、強力ではあるが一時的な集団精神をつくりあげるのである。
群衆は、歴史上常に重要な役割を演じてきたが、この役割が今日ほど顕著なことはかつてなかった。個人の意識的な行為にとってかわった群衆の無意識的な行為が、現代の特徴の一つをなしているのである“
ギュスターヴ・ル・ボン『群集心理』
Prologue
日本の水は世界一美味しい。
にもかかわらず、我々の多くは毎日ミルクよりも高価な「水」を買っての飲んでいる。そして飲み干すたびに大量のペットボトル、即ちゴミがうまれる。
国内の蛇口から、世界一の水が「タダ」で飲めるにもかかわらず、どうして日本人は遠いフランスから大量のCO2をまき散らして運ばれてきた水を飲むのだろうか?
おそらく地球温暖化を謳う「チーム・マイナス6%」のメンバーの多くも、ペットボトルに入った水を購入しているとぼくは予想する。
それが「反エコな行為」であることなど考えもせずに。では、なぜ我々は高価なペットボトルの水を日頃から飲んでいるのだろうか?
答えは一つ。
それは我々が、水を販売する大企業に「洗脳」されているからである。
例えばVolvic, というフランスの有名な会社がある。ぼくも飲んだことがあるが、確かに美味い。しかしながら、今、このボルヴィックという会社は「1リットルfor 10リットル」というキャンペーンを実施している。同社のHPには、次のように書いている。
『お客様のお買い上げ一リットルあたり、10リットルの水がアフリカの井戸から生まれるのです。あなたがボルヴィックを飲む度に、アフリカで笑顔がまたひとつ増えています』
ようは売り上げの一部をつかって井戸を掘るということらしいが、そもそも、この発想自体が問題だ。
安全な水が飲めない人は、世界で12億人いると言われている。ただ、もしも我々日本人の一人一人が真剣に「アフリカの人々に安全な水を飲んでもらおう」と考えるのならば、そんなボルヴィックの“仲介”など経ずに、直接200円寄付したほうがよっぽど効率がいい。
ところが、この大企業は「あなたが当社の水を買うと、こんな人道的なことに繋がるんですよ」と巨額のテレビCM費をかけて我々を洗脳する。そのコストが製品に転化され、原価などタダ同然の水がミルクよりも高額になる。
それを我々日本人は、洗脳されるがままに買っている。
じつに愚かなことだ。
かつては日本の水もまずかった。
しかし21世紀の今となっては、最高に美味い。臭みもない。ぼくがかつて住んでいたタイなんて飲めたものじゃない。そう、タイや韓国など、水道水が飲めない国ならペットボトルの水を飲むのも理解できる。しかし水道水が世界一美味しい日本が、彼らの真似をせねばならぬ理由などこれっぽっちもない。
先日、ぼくは東京都新宿区にある落合水再生センターで「飲める下水」を飲んできた。臭みゼロでうまかった。そう、日本の水再生技術は世界一なのだ。全国の水道水においては、下水どころか清い川や湖から“直送”されている。
旨いのには、ワケがある。
我が国の水道水を飲もう。
それさえせずに、地球温暖化について語っている人達がいる。こういう人達を、ぼくはHypocrat(偽善者)と呼ぶ。
The motive for writing this "Eco column" 略して "Ecolumn" ~動機〜
日本を世界一のエコ国家にする、というのが本著の揺るぎないテーマです。
「仮に日本がそうなっても、京都議定書に縛られていない“ご近所さん”の中国、そしてアメリカなどがしっかりCO2を削減しないなら意味ないよ」、と指摘する人もいるかもしれません。
でも、それはちがう。その理由は、本文を読んでいただければわかります。
ところで、この日本という国では、個人住宅における太陽発電を意図的に阻止しようとする信じがたいモンスターたちがいる。
電事連(電気事業連合会/ 国内電力10社)と経済産業省である。
簡単に説明させていただこう。
環境大国と言われるドイツでは、太陽光発電の固定価格買い取り制度(FIT/ Feed in Tariff)を採用しており、1kwhあたり約60円という高価格で個人住宅(ある意味、“太陽発電所”)から20年間買い取り続けることを、電力会社に義務化している。
それによって、企業も個人も「ああ、この価格で買ってもらえるならプランが立てやすいわ。晴れの日は将来的にお小遣いも稼げちゃうかもしれないし、短期間で採算も取れそうだし、やってみようかな!」と、ソーラーパネル設置に前向きになる。リスクもヘッジできる。
ところが、である。
アジアの東に位置する、とある島国では、そもそもこの「普及をもたらすFIT制度」を導入さえしていない。
しかも経産省が2003年から施行したRPS法(新エネ等電気利用法)により、電力会社による自然エネルギーの購入価格の「上限」を、採算率を大幅に下回る「たった11円」に定めている。
つまり、これはボッタクリというか買い叩きであり、経産省が電力会社を守っていることに他ならない。果たして彼らは国民のための省庁なのか、それとも単に大企業の既得権益を守るために存在しているのだろうか?
2008年11月12日の日経新聞のトップ記事を、ここでご紹介したい。
【太陽光など新エネルギーのコスト=電気料金に明示、上乗せ】
という見出しで、次のように続いている。
『経済産業省は地球温暖化対策を加速するため、2009年度内にも電気料金制度を改定する方針を固めた。(中略)電力会社が利用者に費用負担を求めやすくすることで普及を後押しする』
さらに、『電力会社は現在、新エネ導入にかかった費用を明らかにしていないが、経産省は電力会社の会計規則を定めた省令を2009年度中にも改正、費用の開示を義務付ける』
電力会社のずるいところは、上記にあるように「新エネ導入にかかった費用を明らかにしていない」くせに、その費用を我々一般消費者に転嫁しようとしていることである。ドイツでは一家庭あたり月500円を“新エネ導入費用”として電気料金に上乗せしているが、それは先述したようにドイツが約60円という高額な固定価格で一般家庭などから電力を買い取っているせいでもあろう。ところが日本の場合、買い取り価格を意図的に極端に抑えているくせに、さらに消費者から「新エネ導入代金で〜す」とむしり取ろうとしているのだ。やるべきことをやらないで、「太陽光の発電コストは原子力や火力よりも高いから、払ってよお兄さん」、とほざく彼らの強情な姿勢は到底黙認できるものではない。
電気料金に新エネ上乗せ分を単に“明示”したからといって、国民が納得すると思ったら大間違いだ。バカにするのもいい加減にして欲しい。
また、日本がいま採用している余剰電力購入制度にしても電事連が「これ以上、個人住宅から電気を買うと、儲からなくなるからやーめた」と言い出すこともあり得る。現在、個人住宅発電所は土下座して電気を「買って頂いている」ような状態で、そう、つまりぼくのような無名の日本国民と電力モンスター会社の間では、不平等条約が結ばれていると言っても過言ではない。
それが我が国の太陽光発電ワールドの情けない現状なのである。
太陽発電パネルを家庭に設置するのは210万~280万円前後の大金がかかる。
にもかかわらず、経産省は2005年に補助金制度を早々と打ち切ってしまったわけで、それ以来、太陽光発電の普及率は停滞している。どう考えても時代に逆行していることを堂々とやりながら、HPでは「チームマイナス6%!」と偽善者ぶっている。いったいどうなってるんだこの国は?!
こんなことをタラタラしているから、日本の2007年度のCO2排出量は京都議定書基準年比で8.7%も増えてしまったわけだし、またソーラー発電国家世界一の地位も、ドイツに奪われてしまったのだ。
NEDO(独立行政法人・技術開発機構)のHPによると、とある家庭が1kwソーラー発電システムを導入した場合、年間で256リットルもの原油を節約することになるという。つまり、3kwの設備だと年間約800リットルもの燃料を節減することになり、その分のCO2排出量削減に繋がるわけだ。
この素晴らしき省エネ・太陽エネルギーの日本国内普及を阻もうとする抵抗勢力とは、いったい何様のつもりなのだろう?! 戦略の読み間違えを反省したのか、経産省は2009年から住宅用太陽光発電システムの導入補助金を三年ぶりに復活させたが、それでも一キロワット当たり七万円なので、設置費込みのコストが約70万円の10%にしか満たない。
住環境計画研究所「家庭エネルギー統計年報」によると、平均的な四人家族での消費電力は年間4,482ワットであり、標準4キロワットシステムを設置すれば、約9割を太陽光発電でまかなえるという。すなわち、この場合は
【1キロワットの設置コスト70万円x 4 = 280万円】
となり、そのうち国からの補助金はわずか約28万円にとどまってしまう。
この程度の補助金では、不景気も重なった今、システム導入への促進策としてどれだけの効果があるのか、極めて疑問である。
2008年3月27日、時事通信は次のようなニュースを配信した。
「風力発電の割合が最高を記録=需要量の40%を超す ~スペイン〜」
デンマークにしても、今現在、国内需要の20%以上がナント風力発電で賄われている!
にもかかわらず、「チームマイナス6%」を謳う我が国では、電力会社の新エネルギーは電気供給量のわずか1%ほどしかない。さらに先述したRPS法の施行規則にて「電力10社に2010年までに新エネルギー占有率を1.35%にするよう義務付け」ている。いってんさんごー%? My god…….なんて低い目標設定なんだ……..
本題に戻ります。
ぼくがこのコラムを書こうと思ったのは、こうした欺瞞に憤慨したのはもちろん、今の日本の「環境後進国」ぶりおよび日本人のエコ意識の低さに危機感を抱いたからに他なりません。ゴミ一つとっても、我々は“家庭ゴミは無料だから”という理由で無造作に大量のゴミを毎日出し、埋立所はパンク寸前だ。お隣の韓国では1995年に一般家庭ゴミを有料化した結果、なんとゴミが46%も減りました。
国会がねじれるのも問題ですが、環境意識の低いリーダーたちの脳みそは、逆に一度ねじってリセットしたほうが、地球のためになるのかもしれません。
温暖化したノートブックを膝にのせて. 谷山雄二朗
エコメンが提唱する
世界一のエコッカ,
E1 本
Energy 1ndependence
Environment 1st
Endeavor 1st
Efficiency 1st
Evolution 1st
Eco 1st
by 谷山雄二朗
世界一大きい猿=ゴリラ
世界一早い馬=サラブレッド
世界一小さい犬=チワワ
世界一高い山=エベレスト
世界一高いビル=ブルジュ・ドバイ
世界一大きい鳥=ダチョウ
世界一バナナの生産量が多い国=インド
世界一ワインの生産量が多い国=イタリア
世界一観光客数が多い国=フランス
世界一大きい一党独裁国家=中国
世界一1日あたりの原油の生産量の多い国=サウジアラビア
世界一消費税の高い国=デンマーク
世界一大きいダイコン=桜島大根
世界一長生きした男性=泉重千代
世界一長生きした双子(女性)=成田きん、蟹江ぎん
世界一長く家系が続いている王族=天皇家
世界一高い自立式鉄塔=東京タワー
世界一古い木造建築物=法隆寺
世界一高い石造人型建造物=牛久大仏
世界一長い海底鉄道トンネル=青函トンネル
世界一長い道路・鉄道併用橋=瀬戸大橋
世界一長い木造橋=蓬莱橋
世界一乗り下り客が多い駅=新宿駅
世界一短い名前の駅=津駅
世界一小さいトランジスタ=NEC製トランジスタ
世界一の太陽光発電モジュール生産量=シャープ
世界一広範囲に販売されている自動車=トヨタ・カローラ
世界一の高効率自動車=ホンダ・インサイト
世界一早い電気自動車=エリーカー(慶應義塾製)
世界一早い市販のオートバイ=スズキGSX1300Rハヤブサ
世界一の馬力を誇る量産市販バイク=カワサキZZR1400
世界一のロングセラーオートバイ=ホンダ・カブ
世界一の座席数を誇る高速鉄道=新幹線E4系電車
世界一大きな戦艦=大和
世界一大きな巡視船=しきしま
世界一被弾した軍艦=武蔵
世界一艦命が短い軍艦=信濃
世界一回転数の多いジェットコースター=富士急ハイランド「ええじゃないか」
世界一(最大)の陸戦=奉天会戦
世界一(最大)の海戦=レイテ沖海戦
世界一自動車の輸出台数の多い国=日本
世界一寿命が長い国=日本
世界一歌詞の短い国歌=君が代
世界一の売上高を誇るテーマパーク=東京ディズニーランド
世界最大の売上高を誇る鉄道事業者=JR東日本
世界一多くのミリオンセラーゲームソフトを販売した会社=任天堂
世界一の売り上げを誇るMANGA=ドラゴンボール
世界一「エンドロールに搭乗するクレジット数が多い映画」=仮面ライダー555
世界一多くの役を演じた舞台俳優=中村勘三郎(17代目)
世界一の総売上を誇るコンシューマーゲーム=Super Mario Brothers
世界一の総売上を誇るロールプレイングゲーム=ポケットモンスター
世界一売れたテレビゲーム機=プレイステーション2
世界一の併殺打本数を記録した野球選手=野村克也
世界一のシーズン安打を記録した野球選手=イチロー
世界一GDPの高い国=アメリカ合衆国
世界一の原油(石油)輸入量を誇る国=アメリカ合衆国
世界一二酸化炭素排出量の多い国=アメリカ合衆国
~Wikipedia
世界一のエコ国家=?
Q. ぼくらはどうして太るのかな?
A. 食べて運動しないから。
Q.じゃあ、なぜ運動しないのかな?
A. 忙しいから。
Q.じゃあ、なぜ忙しいのかな?
A.はたらくから。
Q. じゃあ、なぜ働くのかな?
A. 生きるため。
Q. じゃあ、なぜ生きようとするのかな?
A. 死にたくないから。
Q. じゃあ、なぜ死にたくないのかな?
A. 。。。。。。。
人生って、自問自答の繰り返しなんだろうね。(最後の質問の君の答えは?......fu fu fu....)
ぼくがこのコラムを書き続けるのも、自分という存在をぽぽぽん、って確かめたい衝動に駆られるからだと思う。読んでくれている人から、何らかのリプライがあると嬉しいしね。いったり、きたり。来たり、行ったり。
来る。行く。
学校に来る(生徒が、くる=先生の立場から)
学校に行く(生徒の視点。先生も行く)
仕事に来る(現場に。経営者の視点?)
仕事に行く(これ、フツー)
と、どうでもいいことだけど、人生もこれまた「どうでもいいこと」の繰り返しなのかもしれないね。ただ、99.99%の人にはそうでも、当本人にとっては命より大切なことだったりもする。だから面倒くさいことになる。
つい3日前、歯を抜いたんだ。
というと、必ず言われるのが「親知らず?」
「ああ、親のことはもともとあまり知らないんだ」 と切り返す。反応、なし。
よくよく考えてみると、なにかを「自らの意思でヌク」ということはこの世の中では稀なことなのかもしれないぜ。
今回、ぼくは神がかり的に上手な先生に抜いていただいたんだけど、フツーは
①髪が抜ける
②腰が抜ける
③気が抜ける
などなど、己の意思の力がかかっていることはほとんどない! 最後の③番にしても、気が抜けるのではなく「気を抜く」のはどうだろう? いや、やっぱりこれも意識的に己が「抜いている」ことじゃないよね。いつの間にかそうなってた....みたいな。
今日は、本当にどうでもいいことを列挙中。
でも、こんな日もあっていい。
ロンドンから届いた、不思議なお手紙
きのう、不景気で撃沈中の「大」英帝国(戦勝国だから、まだGreatという言葉をつけているのにちがいない。。。昔は、我が国もGreat日本帝国だった)から、なんとも味のあるお手紙が届いた。
それはロンドンに住む、国籍不明のグレートな知人から届いたチェーンメール。
かなり長いけど、これはぜひ御紹介したい!!! だって、面白いんだもの。とてつもなく。
Don't have to take life too seriously....k+
CONGRATULATIONS TO ALL OF YOU WHO WERE BORN IN THE
1940's, 50's, 60's, 70's
First, we survived being born to mothers who smoked and/or drank while
they carried us and lived in houses made of asbestos.
They took aspirin, ate blue cheese, raw egg products, loads of bacon and
processed meat, tuna from a can, and didn't get tested for diabetes or
cervical cancer.
Then after that trauma, our baby cots were covered with bright colored
lead-based paints.
We had no childproof lids on medicine bottles, doors or cabinets and
whenwe rode our bikes, we had no helmets or shoes, not to mention, the
risks we took hitchhiking.
As children, we would ride in cars with no seat belts or air bags.
We drank water from the garden hose and NOT from a bottle.
Take away food was limited to fish and chips, no pizza shops, McDonalds,
KFC, Subway or Nandos.
Even though all the shops closed at 6.00pmand didn't open on the
weekends, somehow we didn't starve to death!
We shared one soft drink with four friends, from one bottle and NO ONE
actually died from this.
We could collect old drink bottles and cash them in at the corner store
and buy Toffees, Gobstoppers, Bubble Gum and some bangers to blow up
frogs with.
We ate cupcakes, white bread and real butter and drank soft drinks with
sugar in it, but we weren't overweight because......
WE WERE ALWAYS OUTSIDE PLAYING!!
We would leave home in the morning and play all day, as long as we were
back when the streetlights came on.
No one was able to reach usall day. And we were O.K.��
We would spend hours building our go-carts out of old prams and then
ride down the hill, only to find out we forgot the brakes. We built tree
houses and dens and played in river beds with matchbox cars.
We did not have Playstations, Nintendo Wii, X-boxes, no video games at
all, no 999 channels on SKY, no video/dvd films, No mobile phones, no
personal computers, no Internet or Internet chat rooms...........WE HAD
FRIENDS and we went outside and found them!
We fell out of trees, got cut, broke bones and teeth and there were no
Lawsuits from these accidents.
Only girls had pierced ears!
We ate worms and mud pies made from dirt, and the worms did not live in
us forever..
You could only buy Easter Eggs and Hot Cross Buns at Easter time....
We were given air guns and catapults for our 10th birthdays,
We rode bikes or walked to a friend's house and knocked on the door or
rang the bell, or just yelled for them!
Mum didn't have to go to work to help dad make ends meet!
RUGBY and CRICKET had tryouts and not everyone made the team. Those who
didn't had to learn to deal with disappointment. Imagine that!! Getting
into the team was based on MERIT
Our teachers used to hit us with canes and gym shoes and bully's�always
ruled the playground at school.
The idea of a parent bailing us out if we broke the law was unheard of.
They actually sided with the law!
Our parents didn't invent stupid names for their kids like 'Kiora' and
'Blade' and 'Ridge' and 'Vanilla'
We had freedom, failure, success and responsibility, and we learned HOW
TO DEAL WITH IT ALL!
And YOU are one of them CONGRATULATIONS!
You might want to share this with others who have had the luck to grow
up as kids, before the lawyers, do good drop out mothers, and the
government regulated our lives for our own good.
And while you are at it, forward it to your kids so they will know how
brave their parents were.
PS -The big type is because your eyes are not too good at your age
anymore!
どこの誰が書いたのか、わからないけど最高でしょう。
ぼくらは今を生きている。
でも、昔を知っている人は、あの遠い時代のほうがよかったと思ったりもする。そう、だってぼくらは過去を背負って生きているのだから。
Q. どうして死にたくないの?
A. やっぱ生きたいから
「答えになってないよ」
「そもそも答えなどないから」
「2/18日は青山学院の受験日だったんだよ。みな答えを書いてたよ」
「あ、あれは人生に答えがあると勘違いしている学者が息抜きにつくったジョーク集だからさ」
「じゃあ受験はジョークなの?」
「もっと早く気付けよ」
「誰もボクのことを気付いてくれないよ」
「だって人はみな同じなんだぜ」
「でも小学校の先生は、人間、十人十色だって言ってたよ」
「その先生はクスリやってたんだな」
「じゃあ個性ってのは幻覚なの?」
「もっと早く気付けよ。いくつだアンタ」
「ユニークなユニクロが38種類の色のついたジーンズを出すらしいけど、インクの無駄遣いってこと?」
「キャノンもダメだが、エプソンのプリンターのインクカートリッジの無くなりかたは、犯罪だ。三秒でグッバイ。あれは消費者をバカにしているとしか思えない。優香もびっくり」
「答えて、ねえ、こたえてよ」
「すべての川は一つの海に通ズ」
inu.
いぬ。
犬をみた。
そう、トイレットペーパーを食べる犬を。この写真をご覧いただきたい。
辺りには夜のお勤めを終えたお姉さんたちの姿もみえる。豪華絢爛なファッション。そしてこの写真の犬のクッション............それはご覧のとおり、トイレットペーパーであった。
18万9000円もする犬を、いったい誰が買うのだろう???
と首を傾げていると、このアメリカン・コッカースパニエルはもぐもぐとトイレットペーパを食べ始めたのである!
噛むだけじゃない、確かに、飲み込んでいる。
フレッド(とりあえず、この犬もフレッドと呼ぶことにしよう)は、相当ストレスが溜まってんだな.......と目を細めながらじーっと彼の目をみつめるぼく。するとフレッドも瞬きもせずじーっと睨み返しながらも、紙を次から次へと噛んでは飲み込んでいく。
東京で一番ダーティな街、六本木。
裏返せば、そこは魅惑の詰まったシティという事もできる。この誘惑だらけの街で、見知らぬ人がさまよい、交わり、通り過ぎていく。フレッドはまだ生まれて数ヶ月にちがいない。人間にたとえたら小学生だろうか?
写真を見る限り、出身地は「チェコ」と書いているようにもみえる。
だとしたら、これを人間社会に例えると『1999年チェコ生まれの金髪少年フレッド君は、とある日、北朝鮮の不審船に拉致され気付いたときには六本木という、夜の街で売られていました。学校の給食を本来なら食べているはずなのに、彼は毎日トイレットロールを食べている。。。。。』
ねえ、みなさん。これは恐ろしい光景ではありませんか?
マザー牧場
千葉にあるマザー牧場。その名は全国区。
たかが牧場なのに、なぜここが? と考えると、それはネーミングにある。「マザー=お母さん」というサウンドが、人間の本能をくすぐるのだ! そう、我々はみなマザー=母親.....という絶対的な存在を無意識的に意識しており、ハッピーになって欲しいと願っているもの。そのためなら、自己犠牲を厭わない子供も少なくなかろう。
ただ、NHKの「その時、歴史が動いた」でキャスターの松平さん(ぼくは密かに彼のファンである)が、インドで貧困撲滅のために自己を犠牲にしながら闘ったポーランド人のマザー・テレサを「マザーはその時、考えました」、「マザーは再びインドに戻ったのです」、「マザーは勇敢でした」......などと口走ったときは、さすがに歯がゆい感じがしたが........そう、違和感に全身が襲われたのである。
だって"Mother Theresa"という呼び名は、あくまでセットであり、マザーの部分だけを取り上げてTV番組で読み上げると、「母さんは.....」という風にしか聞こえない。すなわち英国BBCや、アメリカのFOXテレビのドキュメンタリーで、マザーテレサのことを単に「マザー」と呼ぶというこは、ありえないのだ。「怒りを越えて、笑っちゃう」と最近発言した人が永田町にいたが、このときの松平さんの呼び方も、「違和感をこえて滑稽コッケイ」以外のなにものでもない。
本題に戻ろう!
脱線してしまうのは、本コラムTokyo Timesの「売り」ということにしてあるが.....
マザー。母親。今回の主人公の犬、フレッド。母親と切り裂かれ、マザー(ママ)にバイバイして麻薬売買の街ROPPONGIに島流しにあった可哀想なフレッド。
今年はご存知のとおり、丑年である。うし。モーモー。モーモー渋谷牧場。牛はミルクを出す。子は、母親のそれを飲む。
ところが、このフレッドという小学生の犬はミルクはおろか、トイレットロールを食っている。それも本来は寝ているはずの時間に。彼はどんな思いで、味もしない紙を食っているのだろうか? とぼくは自転車ブルマン号のハンドルを握り締めながら考える。
男は基本的に、みなマザコンだ。
このフレッド(とりあえず、男という設定)も例外ではなかろう。ということは、彼も母親のミルクの味をどこかで恋焦がれているにちがいない。そう、マザーのテイストを。
だからこの国では、「おふくろの味」という言葉が今でも圧倒的な存在感を未だにキープしているのだ!
どっかの演歌歌手は、やっと「おふくろさんよ」という歌を熱唱できるようになった(おフクロウさん、という替え歌を歌ってほしかったが。。。)が、ぼくはこの犬を見ながら、「ああ、モヤシとニラとひき肉がパラパラっと若干入っただけのシンプルな『おふくろ製の野菜炒め』が食いたい.......」と感じたのだった。
野郎という生き物は、あのジェームズ・ディーンが映画「理由なき犯行」、いや「理由なき反抗」でみせたように、意味もなく理由もなく「イキガッテ」みせるものだ。とにかく、ええカッコしぃ。それは独立心の芽生えなのかもしれないが、殆どの場合、それは単なる独りよがりにすぎない。ぼく自身もそうだった......まだフレッドよりも少し年長だったころ...........そう、中高生の「反抗期」なるものは、ニキビっ面の主人公が勝手につくりあげる空想にすぎない、と感じ「降参」するのは、高3ぐらいになってからだろう。
マザー=母親という存在は、自分を生んでくれた偉大かつ神聖な「海」。
東京で一人暮らしをしていると、ふと「オフクロ」&「オフクロの味」が恋しくなることがある。コブクロじゃない、オフクロ(ギャグになってないか。。。) 六本木の犬、フレッドをみながらぼくは自分とダブらせる。大人になっていう過程で、家庭の味=おふくろの味はやはり思う存分味わうべきだと、いまさらだが思う。子はいずれ親から離れていく。そして親は子より早く大地に還っていく。だからこそ、子は甘えられるうちは全身全霊で母親に甘えるべきだと思う。作家・渡辺淳一氏が「親孝行・したい時に親はなし」という言葉を引用しながら親孝行の大切さをススメていたことを覚えているけど、やっぱり実家に住める間は心から親に感謝しなきゃいけないね。その気持ちが小さい頃からあるかないかで、大人になったときの未来が変わってくるんじゃないか。
今朝、池袋行きの丸の内線でスーツ姿の若い女性が、彼女の母親ほど年配と思われるおばあちゃんに席を譲る光景を目の前でみた。「わるいねえ、ありがとう」、と白い歯をみせると、その老婆はくしゃくしゃのスーパーレジ袋から、小さな袋に入った飴玉を一つ取り出し、その女性に手渡したのである。霞ヶ関駅で下車するとき、車内にはなんともいえない温もりがあった。
子が母を思う気持ち。これを素直に出す。出せるときに出す。ニキビがあるときから出す。
古今東西、本当の大人というのは、そういう子供のことを指すのだろう。
No mother, No life.
Thank u.
「私はね、三人の娘を産んでいるけど......娘、なのよ。『看板娘』..........ね」
とチャーミングなスマイルを大爆発してくれたのは、築地市場内にある大江戸寿司のおばあちゃん。
そう、ぼくは今朝、「朝の築地」にデビューしたのである。
ぼくも彼女の「へい、席が空いてますよ、ちょうどあきましたよ!」という呼び込みにまんまとひっかかって入店したのだが、とにかく声の張りも、ホッペの張り具合も55歳。やはり毎日マグロを食っていると、beautifulになるのだろうか。
We are what we eat, とは昔からよく言ったものだ。やばい、中国産の蜂蜜を食っている場合ではない...
ぼくが食べたのは、1700円のどんぶりもので、五種類の魚介類がヤマモリータ。
朝ごはんにしては高額だが、驚くのはまだ早い。
こちらをご覧いただこう。
そう、何を隠そう。3675円もするクロワッサンである。
表参道交差点のパン屋、アンデルセンのクロワッサンが仮に150円だとしたら、なんと25個分。
「こ、こんなラブリー............いや、バブリーなパンが、なぜつ、築地に......魚がパンに変身したのか...」
思わずつぶやいたが、それを聞いた人はいなかったにちがいない。この不景気に、こんなパンを買うヤツなどいるわけがない。
いや、ちがう。いる、いるんだ。そう、なぜならばこれはプラスチックの偽物だから。
アメリカでは百円ショップならぬ「99セント・ショップ」(いまでは百円じゃなくて、91円ショップになっちゃうが)が、空前絶後の売り上げを記録しているという。最高益をマーク。ついにアメリカン・コーヒーのように質素な生き方にチェンジしたのか、アメリカンズ。(Americans)
不景気には、基本的にモノは安くなると思うのだが、いかがだろう?
ホンダのハイブリッド車のインサイトは、エコ車ではじめて200万円を切ったし、人はお金を貯蓄にまわしがちのようだ。ところが、この「パン」は3675円。
「なんでこんなに高いんだろう?」
と純粋にぼくは首を捻ったが、その時、ハッと思った。そう、腐らないからじゃないのか?
築地市場の商品は、言うまでもなく魚である。
それは当然、腐る。
腐ると、臭う。現代社会では、臭うものは敬遠される。TOTOのトイレに流される。クサイ人も煙たがれる。かつてイラクを支配したサダム・フセインの息子のナも、たしかクサイであった。まあ、どうでもいいことだが。。。
魚は鮮度が勝負だ。だから水揚げ直後には高値がつく。冷凍することも可能だが、それではやはり質が落ちていくのだろう。そんな中で、「腐る前に」適正価格なるものが市場で決められていく。社会というのは、きっとそういうものなのだろう。
一応、人間にも賞味期限というのはありそうだ。
「毎日が結婚適齢期です」 と苦しい笑みを浮かべていた人に、かつて会ったような気がするが、それはそれで素晴らしい。だが反面、それはそれでポンポコリン。人生色々なのでなにも結婚をしなければいけないわけではないのだが、独身者のみならず、派遣社員でFIREされた人なども、言い換えれば「企業サイドからみて賞味期限が切れた」ということに他ならない。
そこはやはり弱肉強食、シビアな世の中だといえよう。
だからこそ、人は努力し、切磋琢磨しあうのだと思う。だって、賞味期限がない、ということは言い換えれば永遠に死なないというのに等しい。人は誰もが長生きしたいと思うが、それはいつか土に還ることを知っているからである。もしもBrian Adamsが歌うように"17 till I die" だったら、これほど苦しいこともあるまい。同級生が112歳でアルツハイマーなのに、自分は17.「そして誰もいなくなった」。つまり、死なないということは究極の拷問なのかもね。
いつか死ぬから頑張れる。うん、そこにはウソはあるまい。
元F1ドライバーの片山右京が昔、「死ぬときにああ、楽しい人生だったと振り返れるようなライフでありたい」と言っていたのを、なんかの雑誌で読んだことがある。カンタンに聞こえて、これが一番むずかしいんじゃないか? とその時感じたことを覚えている。
築地市場に戻ろう。
そう、マグロにも賞味期限があるんだ。
ただ、それをうんぬん言う以前に、こんな魚も今日はみかけた。
まあ、おそらくこれら「Head Trio」(頭トリオ)が商品化される可能性もあると思うが、じつに爽快な姿ではないか!
今日は残念ながら、中川昭一財務大臣が「自分で自分のクビを切った」が、このマグロ(たぶん、マグロ)を見てて、「あ、世界史で昔学んだギロチンだ!フランス革命ロブスピエール....」なる絵を思い出したのである。人類は歴史のなかで、人間同士の頭をこのようにちょん切ってきた。
1793年7月28日、独裁者ロブスターならぬロブスピエールのクビは吹っ飛んだ。その前の1792年には、桜木ルイならぬフランス国王ルイ16世が断頭台の露と消えた。しかもこのギロチンってのは、1976年までフランスで現役で活躍していたという。ど同時に、たとえこのギロチンが無くなったとはいえ、この世の中から「首切り」がなくなることはない。それは資本主義社会の常であり、ただありがたいことに現代の「クビ切り」というのは、写真のマグロちゃんとは異なり、肉体としてのクビは飛ばないから、「再就職」できる。つまり、一度は「飛んだ」首を、元通りにできるのだ! これが魔法でなければなんと呼べよう?
つまり、クビを切られた人は、そこまで悲観的にならないでいい、ということである。
魔法が、待っているんだから。ハリー・ポッターになる機会を決して逃してはならない。クビを切られることを恐れてもならない。No risk, No life, 岡本タロー。
七転び八起き。
いまほど、このメンタリティが求められている時代はない。
Good Magro to you.
p.s どうでもいいことだが、NHKが今日のニュースで「独占インタビューを行いました」、とヒラリー・クリントン米国務長官とのやりとりを放送していたが、「ナカガワ氏が辞任しましたが、どう思われますか?」などという、恥もへったくりもないどうでもいい質問をしていたので落胆した。天下のヒラリーもさすがに困っていたし、そもそもこうした内政問題は、アメリカの要人にする質問じゃない。公共の電波を使ってこの程度の質問しか考えられないNHKのディレクターのポンポコリン頭脳は、きっと築地のマグロ以下のレベルなのだろう。ああ、やっぱりNHKの略は、"脳みそ ホントに 空っぽ” なのね.......(No Miso Hontoni Karapponanone)
21世紀現在。
日本社会は、助け合いの精神、公共の精神を失ったとされている。
確かに数年前、田園都市線に乗っていた外資系サラリーマンが、マナーの悪かった男四人組に注意をしたところを逆ギレされ、電車から駅のホームに引きづりだされリンチに合い、意識不明になって結局亡くなったというひどいニュースをみた記憶がある。
同じ日本人がボコボコにされているのに、彼を助け出そうとする人がいなかったのだ。
一人も。Not only 1.
変態や変人はどの時代にもいる。最近でも江東区で星島とかいう変態が、20代前半の女性を暴行したあげく切断してトイレに流して知らんぷりして逮捕された。ちなみにこの変態は、隣の部屋に住む人の家に突然侵入し犯行に及んだという。
なにも自分を棚の上にあげるつもりはないが、最近はそのように「自分の都合しか考えないで気違いじみた行動にでる」人間が増えていることだけは確かである。そしてまたこれは恐怖以外のなにものでもない。
そんな絶望的な社会、ニッポン。
その現状を「試す」機会が、今朝あった。
そう、いまぼくが撮影しているBBCの番組で"Karoshi"=過労死.....という言葉を、スキット風の場面設定を交えて英語で説明するシーンを撮影することになったのだ!
場所は、新宿駅南口の交差点。朝10時。晴天。
ぼくは脱水症状寸前の萎れたサラリーマン桃太郎(仮名)の役で、交差点の反対側からフラフラした足取りでカメラに向かって歩いてくる。そして横断歩道の中間点ぐらいの場所で、Karoshiの意味を英語でブツブツ言う。言い終えた瞬間、携帯電話が鳴る。「もしもし。。。もしもし。。。」と言うと同時に桃太郎はその場で失禁ならぬ失神して倒れる......
というとんでもないシナリオなのだ。
このゲリラ撮影の直前、音声のSteveははにかみなら言った。
「誰も桃太郎を助けてはくれないさ。いまの日本人は氷のように冷淡だからね」
ぼくは反論したかった。
でも、出来なかった。それだけの根拠も、自信もなかったからである。
しかも英国人プロデューサーからは「道路に倒れたら、そのまま十秒ぐらい死んだフリして寝ててちょうだい」という、トンデモ注文が!
「リムジンバスやタクシーが横行する新宿のど真ん中で、オレに十秒も微動だにしないでいろって?」
と叫びたかったが、フツーの番組をつくることほどつまらないものはない。ここは一肌脱いで、日本男児のど根性を見せ付けてやるしかない!となぜか勝手に自分を鼓舞するボク。
果たして桃太郎を助けてくれる日本人はいたのか?
それとも、カレは使い捨ての紙コップのように「見捨てられ」てしまったのか?....
答えは、3月9日から始まる番組でおたのしみください。
Thank you, and a good overwork to you.
イギリスBBCが、三月九日から放送を開始する番組のプレゼンターをやらせていただくことになった。
プレゼンターというのは、日本語に直訳すると「発表する人」。番組進行役といった感じかな。
番組の趣旨は、「日本語をおもしろ可笑しく英国人に教える」こと。
詳しい内容はここではまだ書けないが、今朝の撮影は、朝十時の銀座三越デパート。
開店と同時に、店内の販売員たちが一斉にお辞儀をするのだ。これが英国人にとってはヨダレものに映るようだ。
「ミツコシは、ロンドンでいうとハロッズ・デパートだね」と、なぜか自慢げにいうぼくの言葉を聞き流しながら、190センチの英国人カメラマンのRは、店内でカメラをまわす。
エントランスの左手に、Pierre Marcoliniというチョコレートショップがあった。
「ベルギーから空輸してくるんです」と誇らしげにいうのは、パティシエ姿がとっても似合っている店員のパティ(仮名、とりあえず)。
「でも、すぐそこのテナントのギャルは、世界一美味しいチョコはロンドン産だって言ってたよ」、とぼくが言うと、パティは噛み付くような表情で、
「ちがいます。ゼッタイに、ゼッタイにそれはベルギー産です!」と吠える。
その正解, というか「決着」は2月14日までにつくにちがいない。
今夜はかなりfatigueモードなので、もう寝よう。そしてベルギーチョコを美味しそうに食べるベルギー出身の女優・オードリー・ヘップバーンの夢をみよう。
なお、この番組はBBCのホームページでもネット放送するそうなので、お楽しみに。ロケの「秘話」は、また次回。
角度を変えれば、チョコも、人生も、そしてJapanもちがってみえてくるんだね。そんな感じがしています。
Good chocolate, good life.
Thank you.
映画「チェ・39歳 別れの手紙」を六本木ヒルズで観た。
この男は、なんて葉巻が似合うんだ、畜生.........と唇を噛みながら、画面に食い入る。
前編については、すでに書いたので述べないが、この後編においてチェは、1967年にボリビアにおいて「アメリカ資本に搾取される貧しい労働者階級・農民」を解放すべく、ゲリラ闘争に身を投じる。
同じころ、「元同僚」でもあるキューバのカストロはハバナでキャビアをパクパク食べていた。
にもかかわらず、チェは自ら困難な道へと突っ込む。なんて男なんだ。なんて気違い(放送禁止用語だが、あえて使おう。ほかに適切な言葉が見当たらない)なんだ。江戸時代中期の紀州の山奥にある崖っぷちのような場所で、彼は同行していた馬を殺して食って飢えをしのいでいたのである。
このチェの姿に、青山小学校出身の芸術家・岡本太郎の「危険に飛び込め」という言葉が重なる。
この二人、ともに異常な精神構造を持っていたのかもしれないが、もっとも異なるのはその寿命だろう。太郎が84歳まで生きたのに対し、アルゼンチン人はわずか39歳。
ぼくは濃いイタリアンコフィーが大好きだが、人生の濃さは決してその長さでは語れまい。
「39歳の別れ」では、セックスシーンはゼロ。
これには予想を裏切られた。ハリウッド映画だと必ずある"I wanna make love to u, baby..." が、ない。まったくない。
きっとこれは製作者が、アメリカ人でなかったからにちがいない。
でも考えてみよう。
3000メートル級の山々が連なるボリビアのジャングルのなかで、野郎だらけの集団生活。ゲリラは、まるで胸毛だらけの発情ゴリラのオンパレード。マズローの五大欲求のうちの一つである、性的欲求をチェたちはどう料理したのだろう?
古い日本映画にちょこちょこ出てくるように、ヤギを襲ったのか?
いや、後編にヤギの姿は皆無だった。馬? いや、彼等のお尻の高さはみかん箱にでも乗り、さらに背伸びせねば届かない。カサノヴァなどが獣姦のなかでトップレベルと吠えたという「ニワトリ=チキン」を?!まさか。。。。そんなことをしたら、まさにチキンといわれてしまう。
となると、戦国時代の織田信長の情人だった森蘭丸(1565-1582)のような美少年を、チェたちが同行させていたのだろうか?しかもこの蘭丸、なんと17歳で死んでいる。Only the good die young, 尾崎豊、高杉晋作、River Phoenix、山田かまち。
ぼくはまだ武力による革命闘争に参加したことがない。
よって、ジャングルのなかでひっそりと逃げるように暮らす生活がどのようなものなのか、想像だにできない。今現在、地球上に暮らす60億人もの人間のうち、いったいどれだけの人がチェのように「革命家」になれるのだろうか?おそらく片手の指の数ぐらいじゃないか?
チェ・ジウならぬチェ・ゲバラは、映画のなかで仲間たちに言う。
「我々はこの地球上で最も崇高な存在である『革命家』なんだよ」
ああ、革命。ああ、薄命。
チェたちは、腹が減って食うものにも困る有様だった。通りかかった農家で「豚を売っておくれ」と頼み込む。現代日本のように「ミニストップであんまん3つ」なんてまるでマディソン群の橋のメリル・ストリープ(おとぎ話、の意)
ぼくは共産主義者というのは、便器のようだと思っている。
どんなに足の速いウンコ(ジャマイカのボルト)も、どんなに歌のうまいウンコ(Michael Jackson)も、どんなに美しいウンコ(Lyv Tyler)も、どんなに演説のうまいウンコ(小浜氏)も、みな同じウンコとして排水溝へと流してしまう。平等平等、悪平等。社会主義。共産主義。個性も認めない。
そんな便器イデオロギーの共産主義が、この地上でもっとも成功したとされるのがチェが実現させたキューバである。
それ以外の国では、共産主義は成功しなかったといえる。単に独裁者による人々への一方的支配に終始していないか。ソ連は崩壊し、中国でも毒ミルクや毒ギョーザの情報は人々に対して隠蔽され、メチャクチャな「統治」が進行中だ。ましてや鄧小平は「金持ちになれる人からなればいい」と1970年代後半から上海など部分的に資本主義を導入しはじめた。
共産主義が失敗した最大の理由は、指導的立場にいる人間らが富の分配を拒否し、私腹を肥やすことに熱中したからだ。無私のカタマリとも言われた西郷隆盛がいなかった。賄賂、談合の繰り返し。これでは社会の底辺にいる貧困層は、永遠にそのままだ。まともな教育さえ受けられない。これぞ搾取の構造。オバマ流にいえば、それを"CHANGE"しようとしたチェ・ゲバラという男の偉大さは、まさにそこにあるのではないか。誰もが変えることなど不可能と思われるテーマに、無我夢中で挑む。人間は脳裏で計算はできようと、行動がそれに伴わないことが少なくない。その際、「無私」という観点からみれば21世紀の社会革命を試みているのはタリバンらイスラム原理主義者たちなのかもしれない。彼らは、このヒューマニズムの時代に、己の生命をたやすく捨てる。戦時中の魚雷「回天」に乗り込むかのように、身体に爆弾を巻いてムンバイのホテルに突っ込む。
チェが目指した公正な社会は、いまの日本への強烈なメッセージでもある。
我々は、この国の政治に対し、トンビがビッグマックを人間から奪おうと上空から由比ガ浜海岸でパクパクそれを頬張るのを目掛けて急降下してくるような目つきで、それを冷静に観察する必要があろう。納得のいかないところがあれば、それを吠え、訴え、走り出さねばならない。チェが武力に頼ったのならば、我々はYouTubeという「武器」で闘う。
覚悟が、必要だ。
ぼくには、まだその覚悟が足りていない。チェの足元にも及ばない。それを今回、しっかりと自覚できた。ただ、チキンなりとも目指す方向性にシンクロナイズしている点を見出したのも事実だ。
「想像できることに不可能なことはない」、という言葉があるが、どうだろう。みなさんは、チェになれますか?
最後に、この映画の主演男優、ベニチオ・デル・トロ。
彼の名前がずっと覚えられなかった。だが、今回、覚えやすい方法をみつけた。
「紅トロ」、そう、省略してベニ・トロとインプットするのだ。特上の回転寿司のようじゃないか。
紅トロ。
紅トロ。
紅トロ。
そうだ、明日は、紅色のトロを食べに行こう。
そして革命家チェに、一歩でも近づこう。
Good fish to you.
Thank you.