1 post tagged “小浜 オバマ オバマガールズ 地村保氏 福井 291 拉致問題 北朝鮮 総連 松崎市長 目がね 谷山雄二朗 日本democracy vi”
夜23時59分発新宿発の京福バス(JRバス共同運航)に飛び乗ったのは、昨夜のことだった。
二階建てバスは、清潔感漂う三列シート。ぼくが二階の右側一列目窓際に腰を降ろすと、まもなく新宿駅が遠ざかり始めた。乗客は、ぼくを含めて8人ぐらいしかいない。メキシコ産のポークを山盛り食べてきたのにちがいない、犯罪者のようなマスクをしたぽっちゃり型の女子大生が隣の隣りに座っていて、目が3.3秒間あってしまった(中間席はからっぽ)。
今回の目的地は二つ。福井県庁とオバマ市役所。Purpose? yes, 表敬訪問。今回の作品を福井県小浜市で撮らせていただくなかで、地元の方々から多大なるご協力を頂きました。その気持ちを伝えるべく飛び乗った京福BUS。
朝八時過ぎに吹く胃液、いや、福井駅(変換ミスでこう表示されたが面白いので残しておこう)に到着。晴天。胃液など吹いてないし、いや、それ自体見たこともない。駅前の「ゆとり喫茶」に入ると、客席は100ぐらいありそうなのに客は5名ほど。
「ああ、これぞ本当にゆとり..だ.........教育にこそいらないが」 と勝手に高い天井を見上げつぶやきながら、ゆとりコーヒー(390円)を頼むと丸々バウンシーな推定年齢23.3才の鈴木アン似のウエイトレスが、「パンと生卵がついてきます」と言うので、「?なまたまご?」 と筋肉マン風に聞き返すと、「ちがいます、パンとゆで卵です」と訂正。
エントランスに置かれていた地元の福井新聞を手にすると、「北朝鮮、二回目の核実験」と書いてある。投身自殺をした、韓国元大統領のノ・ムヒョン氏に弔電を送った直後にこの挑発的行為。金正日は、国際社会に決して「ゆとり」を与えない。
八時半すぎ、ぼくを駅まで白いTOYOTAで迎えにきてくださったのはハンフリー・ボーガート氏(仮名)。
視力2.3でも50代には見えない、super young & mysteriousなハンフリー。電話では何度か会話したことはあったものの、事実上初対面。挨拶のハンドシェイクを終えると、ボーガート号は県庁に向けて滑走開始。
アメリカ国務省, YouTube, NBCユニバーサル主催の世界規模の映像コンペティション"Democracy Video Challenge" において、95カ国900人の応募のなかからラッキーなことにファイナリストの18名に残っているDemocracy & Obama City 。
この作品は、そもそも福井県オバマ市で撮影したもの。6月15日までインターネット投票を受け付けています。今スグ、一票を宜しくお願いします!
さて。
福井県庁は、驚いたことに福井城の内側に建てられているではないか! oh my impossible!....と内心シャウトしつつも、これもまた新旧融合の「岡本太郎的アヴァンギャルド・スタイル」なのかもしれない、と思わず首を縦に振ったぼくであった。
県庁を表敬訪問させていただいた後、「お父さん」(iphoneの犬)と同じ色のハンフリー号はオバマ市へと向かった。
福井県庁のみなさん、ありがとうございましたm(_ _)m !!!!
メガネは291
日本のメガネの90%、そして世界の20%のシェアは、Made in Fukuiだそうだ。
あの「ホッケー・ママ」の元共和党副大統領候補のペイリンさんのメガネも、291(フクイ)産。知らなかったでしょう。
「でもほかにも、291と言えばお箸、和紙、越前ガニ、日本酒などいろいろあるんだよ」、と移動中の車内でハンフリーが言う。
ボーガート号は、北越自動車道を福井から敦賀方面へと向かっている。
県庁への表敬訪問を終えた我々が目指す町、その名はバハマならぬオバマ。
爽やかなオバマ市役所につくと、まずは今回のvisitのアレンジに尽力いただいたスティーヴ・マックイーン氏(仮名)とご対面。スティーヴ氏に案内していただきながら、一つ上の階へGO.
そして.......「その時」、歴史は動いた。(勝手にNHK風。こんにちは、松平です)
お忙しいなか、このウルトラ・スポーティな松崎晃治市長はぼくのために貴重なお時間を割いてくださったのである!
ぼく:「市長、憧れの京福バスで昨夜新宿を出発し、今朝こちらにつきました」
市長:「それは長旅でしたね」
ぼく:「ええ、でも来てしまいました。そもそもココ、オバマの地はぼくが民主主義のカタチを捜し求めた場所ですからね」
市長:「そ、そうですか....それはオモシロイ」
.....みたいな、今お思い起こすと極めて苦しい会話を松崎市長に強要してしまったたわけモノのぼくだったが、市長はいやな顔一つせず白い歯をばんばん見せてくれる。
そこで早速、ぼくは今回の表敬訪問の目的と、Democracy Video Challengeコンペティションの概要をご説明させていただいた。その勢いに乗って....
「オバマガールズなどはすでに有名ですが、明通寺などの国宝建築がオバマにあること、そしてここで獲れるサバがスーパー・ジューシーかつマンモス・サイズ(40cmもある!)なのに1000円で食べれること、など、知られざる魅力がたっぷり詰まった町でもありますよね」
「ええ。お寺は130ぐらいありますよ」
「My god......そんなにあるんですか。ここで最大の問題は、そのことを誰も知らないことです。広めましょう、Viva Obama!」
じつは福井県という県が、京都と隣接していることはあまり知られていない。
すなわち、これは京都に来た外国人観光客がふらっと立ち寄れる距離にオバマ市はあるということにほかならない。そこを取り込むことができたら、ビッグな観光ルートを「新設」することにもつながる気がする。
と............その時、「お箸が動いた」。
「市長、これはぼくが東京から持ってきたお土産です。じつは近所の神宮球場で、この『かっとばし』というのが売られておりまして」
「ほほぉ...」
「ええ、万年Bクラスのヤクルトスワローズですが、このような『バットの形をしたお箸』をグッズとして売ってるんです」
「なるほど.....」
「しかもお箸を持つ部分は、バットの形!色もツバメ・ユニフォーム色。今年は球団創立40周年ということで、ぼくも地元愛のあまり、ついにファンクラブに入ってしまいましたが...............」
「........」
「市長、こ、このお箸はなんと....」
「な、なんと..........ま、まさか」
「ええ、そのまさか、なんです....」
「ここ、オバマで....」
「いや、惜しい! そのすぐそばのサバエで....」
「ということはこの面白いお箸が、ココ地元フクイで.....」
「そうなんです、このお箸は"Made in Foocooey!" ツバメ・スワローズのお箸が、なんとフクイで作られている。すごいことですよね..............」
こうした劇的な"ハプニング会話" を展開しているうちに、「市長、お時間です」 との業務連絡が。しかし温厚な松崎晃治市長は、ラストにぼくとのツーショット写真に満面の笑みで応じてくれたのであった。ちなみに、ぼくが抱いた松崎市長のインプレッションは"Young, energetic and warmhearted". さらにオバマまんじゅうのアンコ以上に「ユーモアがつまっている」、すなわち海外受けするタイプの方であることはまちがいありません! オバマ市をより国際都市へ発展させてください!
...............
そして市長、ぜひともオバマ大統領との対談を一度、ぜひ実現させてください。その時は、また京福バスで駆けつけます。
お忙しいなか、ぼくのために時間を割いていただきありがとうございましたm(_ _)m
小浜市のさらなる躍進を祈っております!
地村保氏の前でごはんお替り三杯
じつは、小浜市役所のドアを叩く前に、ハンフリーは「とある意外な方とのランチ」を小浜湾の大海原目の前の和風料理屋でセッティングしてくれた。
ご存知の方も多々いると思いますが、「北朝鮮による拉致被害者家族会」の地村保氏。
ぼくも新聞やテレビでこれまで何度も観たことがあったので、ある意味「面識のあるお顔」だったが、「生」の地村さんはテレビで観た印象とかなり違った。マシュマロのような柔らかさ、そして温もりがより強く感じられるのだ。
しかも80を越えるご高齢であるにもかくわらず、自分でハンドルを握っておられる点も見逃せない。とにかくエネルギッシュ。
ご存知のとおり、Democracy & Obama City は、拉致問題というフィルターを通じて民主主義の長所を浮かび上がらせることを狙いとしている作品。そして今回、この作品がファイナリスト18人に選ばれたことは、日本人が背負っている「同胞の救出」というミッションの大切さを、世界にアピールする絶好のチャンスであるともぼくは考えている。
本文に戻ろう。
自己紹介させて頂いているうちに、ぼくが頼んだお刺身ランチが運ばれてきた。地村さんはうどんとご飯のセット、ハンフリー・ボーガート氏はうなぎ?!(どうしても思い出せない。とにかく何らかの定食)
美味しいジューシーな地魚を頬張りながら、ぼくは拉致被害者としての苦労について聞いてみた。これまで地村さんに何万回と投げかけられた質問だとわかってはいたが、ぼくの3分の作品"Democracy & Obama City" は『民主主義の長所を、拉致という非道な人権蹂躙行為でより浮き彫りにする』ことをも意図しているため、どうしてもお尋ねしてみたかったのだ。
地村さんによると、1978年の夏、突然息子の保志さんが忽然と姿を消したという。
探しても探してもみつからない。しかしながら、一年後、意外なルートからショッキングな言葉を耳にする。なんらかのキッカケを掴めないだろうかとの想い一つで訪れた、大阪の朝鮮総連で担当者の一人から「息子さんは元気でやってますよ。なのでご安心ください」と平然と言われたのだ。その時の地村さんが受けた衝撃は、コラムなどで言い表すことは不可能だろう。
地村保さんの職業は、大工だ。
そして息子の保志さんも、拉致される直前(23才当時)まで大工見習いをしていたという。よって保さんは三ヶ月に一度ぐらいのペースで当時、パチンコ機器の入れ替え作業にも携わっていた。パチンコ業界は30兆円マーケットとも言われており、その売り上げの多くは、ピョンヤンに送金されていることは周知の事実だ。大阪の朝鮮総連で衝撃の真実を聞いてまもなく、保さんはクライアントの某パチンコ会社の社長から次のように囁かれたという。
「公にしてもらっちゃかなわんけど、息子さんは今も向こうで元気におるで」
その日から、地村さんの苦悩はさらに深刻化していく。
警察には言えない。仮に言っても証拠がないため取り扱ってもらえない、そして日本政府自らが拉致問題の存在を認めていない。ない、ない、ないづくめのオンパレード。そうした怒涛の逆境のなかで、保さんは署名運動を活動してゆくのである。愛すべきものを守り、取り返すために。
「息子が帰ってくるまでの24年間、青森から九州まですべての県をまわりました」
平然と言い放ちながら、保さんは讃岐うどん色のスープをずずずっと啜っている。今だからこそ簡単に言うが、当時はうどんの味もしなかったにちがいない。
しかも、この「地方行脚」はすべて自腹だったという。自費で、全国津々浦々を署名を求めてまわる。まさにロックバンドの全国ツアーなみの強行スケジュール。しかも観客席が埋まるかどうかの保証などない。席自体が存在しない。
「自分が死ぬまで息子と再会することは絶対にないと思ってました」
その言葉は、造りの皿に盛ってあったわさびの数千倍のインパクトをぼくに与えた。内心会えないだろう、と思っていながらも全国をまわりつづけたのだ。その意志、その執念、その誇り。日本人としてのプライド。
「わしのもご飯食べな」
そう言って、地村さんはまったく箸をつけていないご自分の白米をぼくに譲ってくださった。
小泉純一郎前首相が2002年に拉致被害者五人を連れ戻したとき、そこには保さんの息子さんも同行していた。同じくオバマ市で拉致された妻の富貴惠さんも。まさに奇跡の瞬間であった。しかしその反面、同じ拉致被害者の横田めぐみさんなど、北朝鮮から救出されなかった人もいた。「素直に喜ぶことなどもってのほかでした」 当時を、保さんはそう振り返る。
地村保さんは、家族会の集会をこれまで一度も欠席したことがないという。
全員が祖国日本に帰ってくるまで、闘い続ける決意だと保さんは言う。「息子には『署名活動で全国をまわってたもんだから、貯金がゼロになってもうた。せめて老後は面倒みてな』 と冗談で言ったりしてな」と。保志さんはそのたびに苦笑いするという。
大工という職業柄、1978年の夏にその大事件が起こるまでは大酒のみだったという地村保さん。
しかしそれ以後は、お酒は一滴も飲んでいないという。
「日本人が全員戻ってくるまで飲むつもりはない」
ぼくが小浜を訪れたのは、もしかしたらこの一言を聞くためだったのかもしれない。
Lastly, I thank Mr.Humphrey, Nancy, Michelle, Steve, Masser York and all the great people who made this visit to Fukui possible.
Thank you very much, and wishing you best of luck in the future.
Sincerely, 雄乃字